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フィリップ・ジャコテ「冬の光に」

Added on by Saori Fukasawa.

詩人の仕事が既にそこにある言葉というものの意味を理解し、それを詩と呼ばれる形に構築し表現することだとしたら、フィリップ・ジャコテはガラスを吹くように、言葉の持つ意味そのものを膨らまし、言語を根源的に理解させる詩人なのかもしれない。

無言。語(ことば)と語を結ぶ絆もまた
壊れ始める。彼は語を離れる。
境界。束の間。
私たちは ふたたび彼を見る。
もはや彼は ほとんど聞くことができぬ。
私たちは この異邦人に呼びかけることができようか、私たちの言葉を
忘れたのならば、もはや立ち止まって 耳を傾けないのならば?
彼はよそに用があるのだ。
彼はもはや 何の用もない。
私たちの方へ向いていても、もはや 彼の背中しか見えぬかのようだ。
— 「教え(ルソン)」, p18

言葉が生まれる以前にあるもの。
世界から意味が消えたあとに残るもの。
生命が孕むこの無言の深淵にジャコテは触手を伸ばし、知識による前提を必要としない、人間の核、コアに触れる。

ジャコテの選ぶ詩的モチーフはどれも透明感に溢れている(クリスタル、真珠、花(fleur)、太陽、光、他たくさんの植物など)が、皆どこかひんやりと冷たく、「冬の光に」照らされる景色が拡がる。
これらは生を感じさせるモチーフだが、一方で死を感じさせるものも多い(牢獄、死刑執行人、死神、石棺など)。

昼と夜を反芻するように、生と死のモノクロームのせかいの中で、言語そのものへの信頼と不信の境を行き戻りつ、少しずつ核に近づいていく。
フィリップ・ジャコテ個人の存在を行間からなるべく消し、ポエジーが描き出す風景の中に、人間の核のみとしての自らを置き、そのフィールドを歩き回ることによって、人間あるいはこの宇宙の孕む「無言の根源」を見つけようとしているのかもしれない。

そしてジャコテはある場面と出会う。

僧侶たちは 読経する
かつて耳にしたこともない この上なく力強く低い声で
あたかも牛たちが 詩編を反芻しているかのようだ、
何頭も繋がれて 永遠という硬き場(フィールド)を
休みなく掘り起こすために。
— 「歓びと言う語」、p163

経を読む僧侶はジャコテであり、世界中の詩人たちであり、生と死の巨大な矛盾を生きる私たちである。
肉体と言語の鎖に繋がれていても、その永遠を呼ぶ声は力強い。

生と死を限界まで咀嚼し、このような詩が書けるようになるには、一体どれくらいの時間と体験が必要なのかを考えると目暈がするが、今はひたすらインクを消費することしかない。

冬にお薦めする一冊。

冬の光に 附・雲の下の想い―フィリップ・ジャコテ詩集冬の光に 附・雲の下の想い―フィリップ・ジャコテ詩集
フィリップ ジャコテ Philippe Jaccottet

国文社 2004-02
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八潮れん「ウーサ」

Added on by Saori Fukasawa.

八潮れんは痙攣している。

言葉で、肉体で、魂で、退屈な日常をかき回すために、痙攣している。
たくさんの「あなた」に埋没する自我、相手のいない、ほとんど自慰のような行為に耽っている。
平凡であることへの憎悪にも似た感情。

あなた 感じのよいおつまみ そういう大きらい
優しそうな味と香り? とりはだが立っちゃう
しあわせストレスの煮込みはじめました
雌雄同体ウミシダ がつんと生き放題 かしこい闇なべ
ロマンティックすこしだけ入って
はっ うーむ わたしは無害 主食はどこ?
— 「思考の沈着性」 p39

または、

おいしいものにみとれ みとれ果て
下品な冗談のつうじるもの
い かないで いかな いで
いかないで いかない で

あなたで
はなく あるじの いかないで
あなたではなく よくじょうのあるじ
— 「音吐」 p31

ひとつ惜しいのは、言葉が八潮れんの存在より小さいことだ。
自らの言葉に縛られて、ゼーゼーと息苦しそうだ。
もっともっと激しく痙攣して、その感じる肉体にしなやかなポエジーを宿らせた時、八潮れんの言葉は深い瞑想の果てに、真実となるであろう。

追記:それにしても素晴らしい装幀。日本画家の神彌佐子さんによるもの。

ウーサウーサ
八潮 れん

思潮社 2010-10
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南原充士「タイムマシン幻想」

Added on by Saori Fukasawa.

最近、わたしは体調が悪い。
生まれつきのアレルギーが悪化して、ここ3ヵ月で何度も病院に行った。
どっさり強い薬を処方され、薬をつける度に情けないような、悲しいような気持ちになっている。
それでも、ちゃんと薬袋に書かれた作用どおりに反応する、自分の身体がうらめしい。
前に一度、科学雑誌でみた血液の拡大写真が、宇宙の風景とそっくりでアッと驚いたことがある。
わたしの身体はわたしのものだけど、何も知らない。
一番近くにある宇宙、カラダ。

わたしの幻想トリップは、江戸時代、小塚原刑場、腑分けの場面へと飛ぶ。
ターヘルアナトミア(解体新書)を片手に、初めて人体のナカミを見た杉田玄白は一体どう思ったのだろう。
南原充士の「解体新書」(p28)は、51世紀の未来に生きる若者が、コンピュータの「歴史ゲーム」で江戸時代の解剖現場を目撃する、追体験を追体験する詩だ。
言葉は入れ子状の渦をたどりながら、客観性という医学の核心へとわたしを導く。
本書は医学と科学の発展というテーマを一つの軸として、ショートショートのような、不思議な物語がつづく。
現実と幻想のあいまにうつらうつらと己の身体の真実を見た。

タイムマシン幻想―南原充士詩集タイムマシン幻想―南原充士詩集
南原充士

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